町田宗鳳の『森女と一休』 〜 胎児期のトラウマについて
2017年9月1日
この小説は恩師に勧められて読んでみたのですが、自身だけにとどめておくのがもったいない気がしたので、ここに紹介させていただきました。
一休というのはとんちで有名な一休宗純のことですが、その苦しい人生は出生以前から運命づけられていました。一休さんが生まれたのは南北朝時代、北朝の足利義満が将軍であった時期ですが、母である伊予局は南朝についていた楠正成の血を引いていました。伊予局はその美しさもあって北朝の後小松天皇の下に出仕し、帝との間に一休さんを身ごもります。帝の子を宿すのは本来喜ばしいことだったはずですが、もしそれが男児だった場合には世継ぎ争いが起こり、我が子の命が危険に曝されると憂慮し、伊予局は女児が生まれることを祈っていました。そんな状況で一休さんは生まれたのです。胎児にとって母親が心身的に安定しているのが理想的なのは言うまでもなく、母親が「子供が生まれたら殺されるかもしれない」とのストレスに日々曝されている状況は、胎児の段階ですでに一休さんに深い心的外傷を与えていたものと推測されます。
千菊丸と名づけられた一休さんは、元々賢く、明るく、少々奔放だったようです。しかし南朝の血を引く幼子の一休さんを皇位継承者から追い落とすため、将軍義満は伊予局に一休さんを出家させるよう圧力をかけ、伊予局は一休さんの命を守るために義満の命に従います。その状況下ではそれが最善の選択だったとしても、7歳の子供にその運命を受け入れるのは容易でなかったに違いありません。母の気持ちも十分に理解できたとは思えず、現代の言葉で言えばニグレクト(育児放棄)のように感じられたとしても無理からぬことです。
寺に入って数年後には本来の明るさを取り戻し、その賢さで頭角を現しますが、寺の格式や家柄を重んじる一方で世間で病死、餓死していく人々に何の手も差し伸べない五山を頂点とする寺院体系に見切りをつけ、本物の師、本当の修行を求めて野に下ります。新たに見出した師には早く先立たれ、思い余って母を訪ねた際には優しくも厳しく諭されて帰され、一時は死を決意したものの、さらに厳しい修行の道に入っていくことになります。しかし、その修業も心の平安を与えてくれることはありませんでした。
少し端折って結論を申しますと、最終的に一休さんを救ったのは、一休さんを心の底から愛し、尊敬してくれる盲目の女性琵琶法師、森女でした。それは、本来母親から無償で与えられるはずのものが修行の末、齢を重ねた後に漸く授けられた、ということなのかもしれません。一休さんの最後の言葉は「死にとうない」であったされ、一般にはとんちで有名な一休さんの揶揄だったと解されもしますが、人並みならぬご苦悩の末に、とうとう人が幸福になるために欠かせぬものを差し出してくれる奇跡の縁に結ばれた、ということのようにも思われます.
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